「不安、怖い、出来ない」からこそ感動がある。
ネットからリアルで会った人によく言われます。
1.「背低いんですね」
2.「いい声してますね」
3.「繊細なんですね」
この「繊細なんですね」について話したい。
「もっと突き抜けてると思ってました」
「もっとイケイケだと思ってました」
「もっと勢いあるかと思ってました」
そんなことありません。
それ幻想、イメージです(笑)実際には、繊細だと思うし、傷つきやすいし。優柔不断な時もあるし、話も聞き役が多いし。勢いないです。「俺はこうだ!」みたいなのもそんなに言いません。ノッてくると意見言い出すけど、基本的にスロースターターです。
人見知りだし、人怖いし、信用できない人ばかりだし、口下手だし、コミュ症だし、人嫌いだし。人の目線も、批判も、称賛も、同意も、全部怖いんです。
でも「だからこそ」なんだと思うんです。
だからこそ、お金について書いてみる。
だからこそ、性についてオープンにしてみる。
だからこそ、人に会いに行く。
逆に、人が大好きで、モテまくりで、会話も上手で、友達も多い。そんな人が「チュー実験」や「お金ください」ってやったところで、ただの延長線上で定型通りで。「あなたなら出来るよね」で終わりじゃないですか?
【参考記事】
【実験】「お金ください」で人はお金を与えるのか? - たなぼた生活
そんな延長線上の定型には価値がない。
価値がないってことは感動もない。
まず自分自身つまらないです。
怖いけど、本当は好き。
人のこと信用してないけど、本当は信じたい。
興味ないと思ってたけど、本当は興味ある。
プルプルと恐怖に震えながらも、そこに立ち続けてみる。どう思われるか不安だし、怖いけど発信してみる。右に揺れ、左に揺れ、バランスをとってみる。
そんな対極を感じながら、日々生きております。
合掌。